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私説 すしの歴史

270年頃
応神天皇の時代に中国を経由して伝わった酢が、現在の大阪で造られるようになり、和泉酢という名で呼ばれていた。酢は、酒の起源と同じ頃から、世界中に存在し知られていたが、その頃の酢は香りが無く、酸味が強いため一般的ではなく、柑橘類の果汁が使われることの方が多かった。


645年頃
すしの原形でインドシナ半島南部が発祥地とされる「いずし(飯寿司)」、「なれずし」が中国から仏教とともに伝来し、日本の宮廷社会に入ってきた。これらは樽の中に飯と、内蔵を取って塩をした魚を交互に積み重ねて発酵させる保存食である。「いずし」は現在でも京都や北陸で見ることができる。

1118年
それまで中国伝来の文化が主流だったが、西行によって日本独自の美意識が創り出された。例えば宮廷には梅に代わり桜が植えられるようになる。西行は独自に、自然の景観を楽しむ「花鳥風月」の思想を生み出し、後の日本文化に強い影響を与えることになる。

1575年
安土桃山時代、武士の力を背景に、茶道、絵画、塗物、建築、歌舞伎、着物などの日本文化の発展が見られた。食の世界でも、流通が良くなり、魚は塩漬けしたものがまだ主であるが、地方の産物が手に入るようになったり、調理技術が進化するなどの変化が見られた。このころから料理の器への盛りつけ方に美しいバランスを持たせる工夫がなされるようになった。またこの頃、小麦、大豆、塩を原料とする、現在の醤油の原形が造られ始めた。それまでは醤油の代用として、魚類と塩、味噌と塩水、あるいは野菜の漬け物汁などを原料とする調味料が使われていた。しかしこの時代もまだ「いずし」の時代である。

1590年
将軍徳川家康の健康管理のため、薬草学に基づきワサビの栽培が始められ、一般にも広まった。ちなみに徳川家の家紋の葵は、ワサビの葉と類似している。大阪の醤油は高価で一般向きではなかったが、江戸で小麦の生産が増えたことで江戸味の醤油が大量に造られるようになり、一般にも広まった。

1660年
元禄時代、うなぎの蒲焼き、そば切りが出現。酒粕から酢が造られるようになり、飯と合わせたり、魚と合わせたりして、広く使われるようになった。魚の刺身の起源はこのあたりであると思われる。江戸前の海ではのりの養殖に成功、庶民のたんぱく源も一気に増えた。

1820年
華屋与兵衛により握りずしが誕生。

1830年
いなりずしが誕生。

1870年
氷を使った冷蔵庫の出現により、徐々に生魚を食べる機会が増えてきた。しかしすしのネタとしてのトロ(マグロの脂肪)は人気がなかった。

1950年
すしの値段が一般化するにつれ、トロの需要も増えてきた。

1975年
ニューヨークのビジネスマンを中心に日米の交流が盛んになり、寿司が一気にブームとなる。今やアメリカのスタイルの寿司が日本に逆輸入されるようになり、世界の他の大都市でもすしが見られるようになった。

2002年
多くの人が個性のある寿司店を求めるようになる。従来の店選びの基準である味、価格、量に替わり、素材の新鮮さ、店の雰囲気、サービスの質が問われるようになり、特に素材の質には、より多くの人がこだわるようになった。お店の雰囲気は簡素で、癒し系、かつ精神的な付加価値が求められるようだ。アメリカ人の日本食への興味は多様化し、個性的な店を求めるようになった。

今、本来素材と酢飯を味わうものであるすしに、過度の味付けをしたトッピングを載せて素材本来の持ち味を消してしまったり、脂肪分やスパイスを多く含んだ材料を使い、極度の色彩で飾り立てられた巻物が主流になってきている。多量のスパイスの使用が、深刻な過剰な脂肪摂取を助長しているようにも見える。今こそすし本来のあり方が求められる時ではないか。
私は和食、すしの文化は、三つの精神によって培われてきたと考える。
一つ目は一つ一つの個性(素材)を尊び、活かす「和」の精神。
二つ目は、永平寺の精進料理の精神。「三徳を重んじる」。「五味五法五色」に加え六つ目の味「淡味」を用いて調理する。「手作りにこだわる」。「素材の旬を大切にする」。ということ。また、道元の典座教訓(てんぞきょうくん)に見ることのできる精神。すなわち「食材に対する敬意を持つ」「食べる人の立場になって作る」「三心を忘れない」「手間と工夫を惜しまない」
私はさらに「臭みの強い食材、辛みの強い食材(五葷五辛)を避ける」を付け加えたい。
三つ目は西行の、天地自然の美しさを愛し、季節の変化に敏く、華道に見られるように天地人の三つを配置する表現。
800年に亘る長い歴史の中で育まれてきたこれらの精神、価値観は料理を作る上で今でもその意味を失わない。
将来は、すし食を通じ、日本の料理人によって培われてきた精神文化が、世界中の国々の食と精神文化に触れ合って、共感してくれる料理人が多く生まれ、人々の食事を通じてさらに豊かな食文化を創り出し発展していくことを夢見ています。

2007年12月 鈴木俊雄