(客人を迎えたときの宴席で)
*五味(五つの味、甘味,塩味、苦味、辛味、酸味)
さらに、六味(淡味)これは素材そのものが持つ味、
これを重要視する。
*五法 (焼く、煮る、炒める、蒸す、生)、
*五色(白色、黒色、赤色、黄色、青色)の栄養の整った
食品を使う。
*四季の移り変わりや花鳥風月を尊います。
避ける食材
*五くん五辛
(臭いの強いもの、辛味の強いもの、酒、肉を避ける)
三徳
*軽軟(きょうなん)見た目はかるく、味はやさしい
*浄潔(じょうけつ)清潔でさっぱりしている
*如法作(にょほうさ)正しい作法によって作られる
この道元の考えが各地に広がり京都の知識人、文化人の社会に影響をあたえ、
現在でも料理人や店主達の仲にはその精神を受け継ぐ為、お寺に出向きその根本を習得している。 のちに京野菜料理と精進料理が組み合わさり、京都の料亭料理につながっていった。 詳しい内容は
http://tenzo.netをご参照ください。
1575年頃
安土桃山時代 武士と商人の力を背景に、茶道、絵画、塗物、建築、歌舞伎、着物、陶芸品等のあらゆる分野で日本文化の発展が見られた(日本のルネッサンス時代)。 食の世界も、流通が良くなり地方の産物海の魚は焼き物、漬物、塩漬けしたものがまだ主で有るが、調理技術も進化し、器の盛り付けや、美的バランス等の競争が起きた又、現在の醤油の原形が造られ始めた (小麦、大豆、塩)現在近い濃い口関東醤油。 それまでの醤油は(魚類と塩)(味噌と塩水)(野菜の漬物汁)等が醤油の代用として使われていた。 寿司.は、まだ飯寿司(いずし)の時代である。
1522年から1591年
今までの精進の流れから武士、知識人、文化人を招きお茶を嗜む茶の湯の思想が千利休によってつくられ、茶事を楽しむための料理(茶会席)で、四季の移り変り、山海の恵みが最小限に表現され茶を損なわない料理がうまれ楽しまれた。(各流派の伝統的作法は現代でも面々と引き継がれている)
古くは、懐石とは座禅の修業のさい温かい石を布で巻いて懐に入れて寒さや飢えを凌いだ。それを起源とした温石、薬石に変わる食事を座禅修行の際の眠りを呼び起こさない量の食を摂るようになる。
江戸時代に茶道が論理化されるようになり、現代の懐石の文字を用いる事になった。 客人をもてなすための季節の表現や食材を使い手間をかける和食料理の前菜などを含むコース料理に変化していった。
料理の手順:
先付、椀物、向付(刺身)、鉢肴(焼き物)、強肴(煮物)、
止肴(酢の物)お酒を止める意、止椀(ご飯、香物、吸い物)、水菓子
一方京都の商人達によって酒宴を楽しむための雅な会席が料亭文化の流れを造り、現代では経済成長と共に自由に再現されるようになり、各専門料理店でも気軽に手軽な料金でサービスするようになり、女性に人気が広がっている。
1590年頃
徳川家康は江戸の町に運河や上水路、下水道を整備し江戸の発展に尽くし、江戸中期には世界一の100万都市に成長させた。 家康自身の健康管理を目的として始められた薬草学を野生のわさびの栽培が成功し一般に広められた。 (ちなみに、徳川家の家紋の葵は、わさびの葉と類似している)大阪の醤油は高値で一般向きではなかったが、江戸で小麦の生産が向上すると、江戸味醤油が大量に造ることが出来、一般化していった。
1660年頃
江戸元禄 うなぎのかばやき、そば、が現われ始め、又、酒粕(酒を絞った残り物)で酢ができ、一般に広められ、酢と飯を合わせたり、魚と合わせたり、まぐろなど日持ちしない物は醤油づけにして食べられていた。 刺身の起源はこのあたりである。 また、江戸前の湾で海苔の栽培にも成功して、一般の庶民のたんぱく源も一気に増えた。
1820年頃
華屋与兵衛によって、握り寿司が生まれた(現代の江戸前寿司の原形が出来た)
このころはまだ、ご飯の代用としてすし飯の上に漬けたマグロや酢に〆た小肌などを屋台で手軽に今日のファーストフードのようにサービスされていた。
1830年頃
いなりずし (揚げた豆腐に酢飯を詰めたもの)
1870年頃
冷蔵庫(ICEBOX)の出現によりだんだんと生魚を食べる機会が増えてきたが、寿司のネタとしてのまぐろの脂肪(トロ)は日持ちがしないため人気はなかった。
1946年頃
お米の配給制度が始まるとすし屋会が立ち上がり飯規制が起きたが、現在の大きさで合意し収まった。言う話を聞いた。
1950年頃
お米の配給制度が終わり、流通が活発化し始め、すしの値段が一般化するとトロの需要も増えてきた。
1975年頃
NYのビジネスマンを中心に日本とアメリカと交流がさかんになり一気にブームになった。 今やアメリカのすしは日本に逆輸入し、世界の大都市でも見られるようになった。
2002年頃
ヘルスコンシャスで体脂肪に注意した食品が注目されて来た。
今や多くの人が個性の有るお店を求めて広がってきた。 客の求める基準が味、価格、量、から味=新鮮、雰囲気、サービス、に移ってきて素材の質を問われる時が来ました。 又、雰囲気は簡素で癒し系かつ精神的、付加価値のある所を求めていくようだ。 アメリカの人々の日本食への興味が多様化し、個性的な店をもとめるようになった。
2005年頃~
ニューヨークにすしが定着すると、デリー風から伝統的すしまで広がり、多くのお客様の選択が出来るようになった。
上で述べたように、私は150以上のRoll(巻物)を自身のお店を通して世間に 広めていきそして、それは私のお店を助けビジネスを軌道に乗せてきました。しかし、そもそもそのようなRollというものを広めるのが私のビジネスの目的 ではありませんでした。そのため、現在のタイムズスクエアーの近くにある新しいロケーションのWest 44th Street と6th アベニューとブロードウェイの間にお店を移転させたときをきっかけに、私は今こそもう一度日本の伝統的な料理を紹介する時だと思いました。なぜなら、この 立地条件だからこそ現地の人々だけではなく、世界中から訪れる人々に日本の伝統料理をご紹介できる機会があるからです。
今日、私は五絆ソサエティーという財団が行っている、アメリカと日本の料理と文化の交流を推進する活動に参加しています。料理を通して全てのプロの料理人がそれぞれの食文化を探求、交流を深めることができます。
「五絆ソサエティーの一員として、日本料理の根源の理解を深めるという活動の役目をお手伝いできることは大変光栄なことであります。文化、歴史、伝統と日 本料理に息づく深いZENの精神を広めることにより、財団が日本とアメリカのユニークで価値のある交流を続けることを望んでおります。」(五絆ソサエ ティー)
www.gohansociety.org
世界中で高名なシェフ、マイケルロマーノ(ユニオンスクエアーカフェ)、シェフ、マーコキャノーラ (インシエメ)その他、ジャンジョルジュ、フォーシー ズンホテル、グラマシータバーン、ボクエリア、ブラッセリーなどのエグゼクティブシェフなど他多くのシェフの方々に、私の学んできた知識、技術、そして哲 学を披露できるチャンスをいただけるとは思っておりませんでした。今までに、活きた魚のおろし方、保険衛生、鮨の作り方やその他の課題で、ジェームスビ アードファウンデーションと五絆ソサエティーの協力のもと講義をさせていただきました。
魚のおろし方では、きちんとしたプロセスと技術の知識が無いとどれぐらい危険であるかを強調しながら講義をさせていただきました。 活きた平目と鰻のおろ し方を見て頂き、その後彼ら自身がその技術をいかし同じ事をやっていただくという事を、ジェームスビアードファウンデーション所有のキッチンで行いまし た。活きた魚をおろす為には、大量の水を使えるきちんとしたシンクが必要になります。水をきちんと流せないところでは、海や川の魚についている何千という バクテリアやパラサイトなどを洗い流せず、お客様に提供される魚に残ってしまいます。
鮨の握り方も講義させていただきました。この講義の一部は下記のウェブアドレスからご覧になれます。