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日本語
すし膳の精神

日本人は古来、人間を自然の一部として捉え、自然との調和を重んじてきました。これは日本の風土における、自然界の活発な活動と多様性によるもの と言われています。時に自然は洪水や地震のような厄災をもたらす一方、四季折々の食べ物や美しい景色など、さまざまな恵みを与えてくれます。日本人は自然 と戦うのではなく、自然の持つ大きな力を畏れ、同時にその恵みに感謝する心を持ち、独自の自然観を培ったといわれます。
伝統的な和食の世界にも、このような自然観が反映されています。日本人が旬の食べものを尊ぶのは、四季の移ろいに逆らわず、その時節の自然の恵みを享受す るという気持ちの表れです。また多様な自然のもたらす多くの種類の素材を組み合わせることで、微妙な味わいを持ち、栄養のバランスの取れた食事を摂ってき ました。
近年この和食の特性が見直さられるようになりました。現代人の食生活では、多くの人々が、濃い甘み、濃い塩分、刺激の強い辛味、脂肪や油の味を求めるた め、そうした求めに応じて過度の味付けをする「加える調理法」が主流となった結果、生活習慣病などの健康上の問題が深刻化しているからです。
すし膳では、和食の伝統にしたがい、調理にはほんの少しの味付けを用いることで、旬の食材が本来持っている個性、魅力を、最大限に引き出すことを、最も大 事に心がけています。自分の力で料理を作り出すというよりもむしろ、食材が本領を発揮できるよう、お手伝いするという気持ちです。そして、それぞれの食材 の持つ独特な風味、食感、彩りを活かしたまま、いくつかの食材を組み合わせることで生まれる、深い味わいのある料理。さまざまな素材が出会い、ハーモニー を奏でる一皿こそ、和食の真骨頂であると考えています。
このような料理を作るには和の伝統的な精神を重んじ、まっすぐに物事の本質を追求する、料理人の姿勢と、経験に裏打ちされた確かな技術が欠かせません。季 節の食材と真に向かい合うとき、料理人は感性を触発され、食材を最上の一皿に変容させる道筋を見出します。食材の持つ個性との出会いにより、研ぎ澄まされ た料理人の感性が、器の上にその季節の自然の美しさを表現する。 すし膳の料理人は、このような一皿をお客様にお届けできるよう日々に努めています。
店作りにおいては、それぞれのお客様に十分な心くばりができるようカウンター席をあえて10席に限定し、料理人とお客様の間を隔ててしまう「すしケース」 も取り払いました。これによりご夕食時には、料理人の技や調理の過程をじっくりとご覧いただきながら、個々のお客様の求めに応じた、季節のおすすめの料理 をお出しできるようにしています。

「膳」はおもてなしの心
 
「膳」は「肉(にくづき)」と、整える意味の「善」からなり、もともとは「よく整 えられた料理」、という意味の文字ですが、日本では「食器を載せる台」を指す言葉として使われてきました。すし膳では、「膳」の本来の意味に加え、その文 字の成り立ちから「体(にくづき)に良い(善)もの」ととらえ、お客様が楽しく、おいしい食事を通じて心身ともにお元気になられるよう心がける「おもてな し」が「膳」の精神であると考えています。

シェフ鈴木

鮨は基本的には様々な食材をデリケートに味付けされたシャリと組み合わせることによって意図的に様々な素材の自然な素質を引き立たせるようにできています。
シャリの上にあるそれぞれの魚や野菜のうまみを最大にし、特性を輝き引き出すために最も大切なことは、職人の手の中でご飯、酢、わさび、ねた、そして煮切醤油(合わせ醤油)が素早く一つになり速やかにお客様に提供されることです。
26年以上も前、私のお店の存続のために150種類以上のRollという巻物を作りました、なぜなら私がお店を1983年に始めたころ、数件の日本レスト ランで生の鮨を提供していましたが、まだまだ一般的ではありませんでした。しかし、私のお店のコンセプト“膳”は元来、小さいテーブルもしくは食事を運ぶ お盆という意味に加え、体に良い食事という意味があるように、本来レストランで提供されるお食事は人々がよりよく生きるために健康的で、バランスの取れた 食事であるべきであります。
今日のトレンドは、非常に過度の調味料をすし、さしみに加えたり、脂肪分やカロリーの高い内容のRoll(巻物)が流行しているのは私の心に将来の食文化 に対する不安を抱かせています。私にとって過度の脂肪分は過度のスパイスが原因になっているように思われます。今こそ、すばらしい鮨というものをゆっくり 楽しんでいただくために、鮨の歴史的な発展をもう一度、敬意をもって見ていく必要があるように思われます。

鮨の発展は主に三つの伝統的な日本の考えによって洗練されてきたように思われます。

*一つ目は、“和”の精神であり、それは個々の特有とその調和を重要視するものであります。

*二つ目は、西行の出現。 西行は上級武士の家庭に生まれ出家し僧侶、歌人である彼は日本各地のお寺や豪商人の邸宅で歌会の交流をしその影響を与えていった。 彼によって大陸支流の文化から西行独自の花鳥風月(自然界の景観を楽しむ)の美意識の変化が造り出された。 宮廷の植樹が梅から桜へと替えられ、のちの日本社会に広くひろまって行った。

*三つ目は、道元の出現。 永平寺を通して調理の精神が正しめられたことです。1237年ごろ、道元 によって書かれた典座教訓の中でその教えが書かれています。そして、その考えは日本の食文化に大きな影響を与えました。例えば、京都府では今なお懐石を含 め多くの伝統的な日本料理が道元の考えに基づいてもてなされています。 “その考えは悟りの境地から料理する”

日本の歴史を振り替えて見ると、日本の豊かな恵みは、島の中央に連なる高い山脈と南方より持たされる海流と北方の海流によって造り出される四季によって、雪や雨が山に降りそそぎ、やがて川をつくり森林の微生物を海に流し魚達にプランクトンを与えている。こうした立地条件が人々にも豊かな水をあたえ、自然の恩恵をもたらしている。

紀元前4世紀弥生時代
大陸の影響を受け米の農作技術が南国から伝わりエネルギーとしての確保が出来海山のしげんが整っていった。 このころはまだ内陸の川魚や河口や海岸の魚貝類が主流であった。

270年頃
応神天皇の時代に酢が中国から現在の大阪に渡り造られ、和泉酢という名で呼ばれていた。 酢の存在は酒の起源と同じ頃から世界中で有り知られていたが、この酢は香りが無く、酢味が強くて一般的ではなく、甘橘類の果汁を使っていた。

502-549年頃
梁の武帝
インドから伝わった肉食絶対禁忌主義を中国独自の精進料理の基礎をつくった人

574-622年頃
聖徳太子
仏教興隆、遣唐使を派遣、仏教に力を尽くす

645年頃
醗酵食品の技術が中国から仏教と共に日本の宮廷社会に入って来た。 それらは樽の中に飯を敷き、内臓を取って塩をした魚を入れた上に又、飯を敷き積み重ねて醗酵させた保存食として作られていた。 この醗酵食品に似たものとして現在でも京都や北陸などで飯寿司(いずし)(なれずし)として見る事が出来る。  湿度の高い日本の地形には独自の麹菌などがあり、酒造などの日本独特の風味、旨味を作り出していった。 
穀物を使った醗酵食品より以前から日本では魚と塩をつかった漁潮などの醗酵貯蔵技術があったともされている。 

1000年頃
清少納言によって菜食主義が広がる

1118年から1190年
西行は上級武士の家庭に生まれ出家し僧侶、歌人である彼は日本各地のお寺や豪商人の邸宅で歌会の交流をしその影響を与えていった。 彼によって大陸支流の文化から西行独自の花鳥風月(自然界の景観を楽しむ)の美意識の変化が造り出された。 宮廷の植樹が梅から桜へと替えられ、各地で品種の違いを楽しみ品種改良や品評会が行われ、桜の下で歌会やお茶を楽しむ文化が一般的になり日本全土に広まっていった。   

1200年から1253年
禅師道元の出現、彼が中国にわたり、彼独自の哲学に基づいた典座教訓(てんぞうきょうくん)を見出した。 

“その考えは悟りの境地から料理する”

忘れてならない「三つの心」(三心)
*喜心(作る喜び、もてなす喜び、修行の喜びを忘れないこころ)
*老心(相手の立場を思って懇切丁寧に作る老婆親切のこころ)
*大心(とらわれやかたよりを捨て、深く大きな態度で作るこころ)

典座寮(てんぞうりょう)僧侶の台所
*栄養と体の事を考えて料理する心で向かう
*しっかりした味付けで料理する
*切り落とした食材も無駄なく使い全うさせる、
    自然の恵みに感謝する
(集めてごま油で炒めた巻繊汁(けんちんじる)
*季節の食材を使う
*削ぎ落とした最小限の栄養とバランスで時間を惜しみなく
   料理する

*本膳 一膳盛り、一汁三菜、
*本膳、二の膳、三の膳、三汁七菜、
  ご飯、漬物、汁物、酢物、焼物など   
  煮物、焼物などの季節の食材が加わる                         
  (客人を迎えたときの宴席で)
   
*五味(五つの味、甘味,塩味、苦味、辛味、酸味)
  さらに、六味(淡味)これは素材そのものが持つ味、
  これを重要視する。

*五法 (焼く、煮る、炒める、蒸す、生)、
*五色(白色、黒色、赤色、黄色、青色)の栄養の整った
    食品を使う。

*四季の移り変わりや花鳥風月を尊います。

避ける食材
*五くん五辛
  (臭いの強いもの、辛味の強いもの、酒、肉を避ける)

三徳
*軽軟(きょうなん)見た目はかるく、味はやさしい
*浄潔(じょうけつ)清潔でさっぱりしている
*如法作(にょほうさ)正しい作法によって作られる

この道元の考えが各地に広がり京都の知識人、文化人の社会に影響をあたえ、
現在でも料理人や店主達の仲にはその精神を受け継ぐ為、お寺に出向きその根本を習得している。 のちに京野菜料理と精進料理が組み合わさり、京都の料亭料理につながっていった。 詳しい内容はhttp://tenzo.netをご参照ください。

1575年頃
安土桃山時代 武士と商人の力を背景に、茶道、絵画、塗物、建築、歌舞伎、着物、陶芸品等のあらゆる分野で日本文化の発展が見られた(日本のルネッサンス時代)。 食の世界も、流通が良くなり地方の産物海の魚は焼き物、漬物、塩漬けしたものがまだ主で有るが、調理技術も進化し、器の盛り付けや、美的バランス等の競争が起きた又、現在の醤油の原形が造られ始めた (小麦、大豆、塩)現在近い濃い口関東醤油。 それまでの醤油は(魚類と塩)(味噌と塩水)(野菜の漬物汁)等が醤油の代用として使われていた。 寿司.は、まだ飯寿司(いずし)の時代である。

1522年から1591年
今までの精進の流れから武士、知識人、文化人を招きお茶を嗜む茶の湯の思想が千利休によってつくられ、茶事を楽しむための料理(茶会席)で、四季の移り変り、山海の恵みが最小限に表現され茶を損なわない料理がうまれ楽しまれた。(各流派の伝統的作法は現代でも面々と引き継がれている) 

古くは、懐石とは座禅の修業のさい温かい石を布で巻いて懐に入れて寒さや飢えを凌いだ。それを起源とした温石、薬石に変わる食事を座禅修行の際の眠りを呼び起こさない量の食を摂るようになる。

江戸時代に茶道が論理化されるようになり、現代の懐石の文字を用いる事になった。 客人をもてなすための季節の表現や食材を使い手間をかける和食料理の前菜などを含むコース料理に変化していった。
料理の手順:
先付、椀物、向付(刺身)、鉢肴(焼き物)、強肴(煮物)、
止肴(酢の物)お酒を止める意、止椀(ご飯、香物、吸い物)、水菓子      

一方京都の商人達によって酒宴を楽しむための雅な会席が料亭文化の流れを造り、現代では経済成長と共に自由に再現されるようになり、各専門料理店でも気軽に手軽な料金でサービスするようになり、女性に人気が広がっている。

1590年頃
徳川家康は江戸の町に運河や上水路、下水道を整備し江戸の発展に尽くし、江戸中期には世界一の100万都市に成長させた。  家康自身の健康管理を目的として始められた薬草学を野生のわさびの栽培が成功し一般に広められた。 (ちなみに、徳川家の家紋の葵は、わさびの葉と類似している)大阪の醤油は高値で一般向きではなかったが、江戸で小麦の生産が向上すると、江戸味醤油が大量に造ることが出来、一般化していった。

1660年頃
江戸元禄 うなぎのかばやき、そば、が現われ始め、又、酒粕(酒を絞った残り物)で酢ができ、一般に広められ、酢と飯を合わせたり、魚と合わせたり、まぐろなど日持ちしない物は醤油づけにして食べられていた。 刺身の起源はこのあたりである。 また、江戸前の湾で海苔の栽培にも成功して、一般の庶民のたんぱく源も一気に増えた。 

1820年頃
華屋与兵衛によって、握り寿司が生まれた(現代の江戸前寿司の原形が出来た)
このころはまだ、ご飯の代用としてすし飯の上に漬けたマグロや酢に〆た小肌などを屋台で手軽に今日のファーストフードのようにサービスされていた。

1830年頃
いなりずし (揚げた豆腐に酢飯を詰めたもの)

1870年頃
冷蔵庫(ICEBOX)の出現によりだんだんと生魚を食べる機会が増えてきたが、寿司のネタとしてのまぐろの脂肪(トロ)は日持ちがしないため人気はなかった。

1946年頃
お米の配給制度が始まるとすし屋会が立ち上がり飯規制が起きたが、現在の大きさで合意し収まった。言う話を聞いた。

1950年頃
お米の配給制度が終わり、流通が活発化し始め、すしの値段が一般化するとトロの需要も増えてきた。

1975年頃
NYのビジネスマンを中心に日本とアメリカと交流がさかんになり一気にブームになった。 今やアメリカのすしは日本に逆輸入し、世界の大都市でも見られるようになった。

2002年頃
ヘルスコンシャスで体脂肪に注意した食品が注目されて来た。
今や多くの人が個性の有るお店を求めて広がってきた。 客の求める基準が味、価格、量、から味=新鮮、雰囲気、サービス、に移ってきて素材の質を問われる時が来ました。 又、雰囲気は簡素で癒し系かつ精神的、付加価値のある所を求めていくようだ。 アメリカの人々の日本食への興味が多様化し、個性的な店をもとめるようになった。

2005年頃~
ニューヨークにすしが定着すると、デリー風から伝統的すしまで広がり、多くのお客様の選択が出来るようになった。

上で述べたように、私は150以上のRoll(巻物)を自身のお店を通して世間に 広めていきそして、それは私のお店を助けビジネスを軌道に乗せてきました。しかし、そもそもそのようなRollというものを広めるのが私のビジネスの目的 ではありませんでした。そのため、現在のタイムズスクエアーの近くにある新しいロケーションのWest 44th Street と6th アベニューとブロードウェイの間にお店を移転させたときをきっかけに、私は今こそもう一度日本の伝統的な料理を紹介する時だと思いました。なぜなら、この 立地条件だからこそ現地の人々だけではなく、世界中から訪れる人々に日本の伝統料理をご紹介できる機会があるからです。

今日、私は五絆ソサエティーという財団が行っている、アメリカと日本の料理と文化の交流を推進する活動に参加しています。料理を通して全てのプロの料理人がそれぞれの食文化を探求、交流を深めることができます。

「五絆ソサエティーの一員として、日本料理の根源の理解を深めるという活動の役目をお手伝いできることは大変光栄なことであります。文化、歴史、伝統と日 本料理に息づく深いZENの精神を広めることにより、財団が日本とアメリカのユニークで価値のある交流を続けることを望んでおります。」(五絆ソサエ ティー)www.gohansociety.org

世界中で高名なシェフ、マイケルロマーノ(ユニオンスクエアーカフェ)、シェフ、マーコキャノーラ (インシエメ)その他、ジャンジョルジュ、フォーシー ズンホテル、グラマシータバーン、ボクエリア、ブラッセリーなどのエグゼクティブシェフなど他多くのシェフの方々に、私の学んできた知識、技術、そして哲 学を披露できるチャンスをいただけるとは思っておりませんでした。今までに、活きた魚のおろし方、保険衛生、鮨の作り方やその他の課題で、ジェームスビ アードファウンデーションと五絆ソサエティーの協力のもと講義をさせていただきました。

魚のおろし方では、きちんとしたプロセスと技術の知識が無いとどれぐらい危険であるかを強調しながら講義をさせていただきました。 活きた平目と鰻のおろ し方を見て頂き、その後彼ら自身がその技術をいかし同じ事をやっていただくという事を、ジェームスビアードファウンデーション所有のキッチンで行いまし た。活きた魚をおろす為には、大量の水を使えるきちんとしたシンクが必要になります。水をきちんと流せないところでは、海や川の魚についている何千という バクテリアやパラサイトなどを洗い流せず、お客様に提供される魚に残ってしまいます。
 
鮨の握り方も講義させていただきました。この講義の一部は下記のウェブアドレスからご覧になれます。
 
-鈴木俊雄
 

www.the-feedbag.com/index.php?s=sushi+zen

2009年8月

鈴木

リンク

ジェームスビアードファウンデーション
(James Beard Foundation)www.jamesbeard.org

五絆ソサエティー
(The Gohan Society)www.gohansociety.org

ジャパンソサエティー 
(Japan Society)www.japansociety.org
 
アスターセンター
(Astor Center) www.astorcenternyc.com
 
フレンチカリナリー学会
(French Culinary Institute) www.frenchculinary.com